オンラインカジノに限らず、ギャンブルの「大当たり」というのは狙ってどうにかなるというものではありません。
大当たりというのは、神に愛されているとしかいいようがない、一握りの強運の持ち主が、神に愛されるままに受ける恩寵のようなものであり、「必勝法」や「戦略」と無縁の場所での出来事なのです。
必勝法の1つでオンラインカジノの入金不要ボーナスがありますが、負ける(マイナスになる)とは言わないものの、大当たりすることはまずないでしょう。
大当たりというのは定義に個人差はあるでしょうが、「一度の勝利で最低でも三桁以上の勝利金が出るような当たり」のことで、運がいい場合は数千万円単位の勝利金、最大の恩寵に巡り合った場合は億単位の勝利金ということになるでしょう。
当然オンラインカジノにおいては、億単位や数千万円単位はおろか、数百万円という三桁レベルの「比較的小規模とはいえ高額の大当たり」に巡り合う人のほうが絶対的に少ないことはいうまでもありません。
これでもし、バンバン大当たりが連発されるのであれば、それは大当たりと呼ぶにふさわしくない勝ちになるでしょうし、そうでないからこそ、「オンラインカジノの9割以上が敗者である」という現状があるわけです。
というより、「大当たり」というのは無数の敗者という屍が積み立てたお金を、限られた勝利者が独占的に総取りするようなシステムで、9割の敗者によって支えられているというのが正しい理解かと思われます。
ジャックポットの仕組みから見えてくる大当たりの過酷さ
オンラインカジノだけでなく、リアルカジノで遊ぶことができるスロットの最大の特徴は「ジャックポット」という機能が搭載されていることにあります。
オンラインカジノにおける「大当たり」も、実はこの「ジャックポットを当てる」の言い換えのような側面が強いですから、「大当たり=ジャックポット」という等式が成立することになるでしょう。
ジャックポットという言葉は、少しでもオンラインカジノに興味を持っていれば誰もが一度は聞いたことがある言葉かと思いますが、それがなぜ「大当たり」ともいえる高額の配当を叩き出すかのシステムまで理解している人は、知名度ほどは多くは知られていないかもしれません。
ジャックポットが搭載されているオンラインカジノのスロットというのは、「そのスロットにすべてのプレイヤーが費やした賭け金の一部がどんどん積み立てられていく」という仕組みをもっています。
つまり「大当たり」が出るまで、「敗者の負け金をひたすら吸い続けて巨大に膨れ上がっていく怪物」というのがジャックポットが搭載されているスロットの特徴といっていいでしょう。
ジャックポットという大当たりは、この「積み立てられた敗者の膨大な賭け金」が、大当たりを引き当てた一人のみにすべて勝利金として与えられるというタイプの「当たり」となっています。
つまり、オンラインカジノでは、大当たりで手に入る勝利金が多ければ多いほど、そこに到るまでの「負けた人たち」の数も多いということになります。
いわば、「大当たり」というのは「オンラインカジノの敗者たちの怨念がこもった大金を手にすること」ともいえるわけで、これはちょっとだけ怖い体験かもしれません。
もしかしたら自分が大当たりを引くかもしれないという期待値
「もしかしたら、次の大当たりは自分かも」という期待、そのギャンブラーの甘い心理を利用して、プレイヤーに金を使わせまくるのがジャックポット搭載のスロットの巧妙な集金システムだといえるでしょう。
「次の大当たりは自分かもしれない」という期待は、オンラインカジノだけでなく、あらゆるギャンブルに「のめりこむタイプ」が陥りがちな心理的な罠で、これはある段階を超えると「勝って取り返す」というような考えに移行しやすいため、大変に危険な期待なのです。
しかし、「大当たり」というのは「当てる気がなかった」とか「まさか自分にくるとは」というタイプの、油断して気楽にゲームで遊んでいたタイプに、稲妻のように突然その機会が訪れるというようなものであり、「次は自分かも」タイプの人間が当たることは稀です。
実際オンラインカジノではなく、ラスベガスでの有名な体験談ですが、ジャックポットを当てた日本人男性は「飲み足りないから」といってビールを買いに行った妻につきあう流れで適当に座ったスロットで、結果的に約7000万円の大当たりに巡り合うことになりました。
そのための投資金はわずか25ドルだったというのですから、驚きです。
この男性は本人も語っているように「大当たりを狙おう」なんて思っていなかったわけです。
そして、3000円程度の投資で、7000万円の「敗者たちの積立金」をゲットしたのですから、これは相当の強運の持ち主で、神に愛されていたとしかいえません。
大当たりは、その集金システムと当たり方を知ると「残酷」の一言ですが、それでも多くの人が敗者を運命づけられながらもそれを狙い続けるのは「次は自分が……」という期待感が甘い蜜のようにギャンブラーを蕩かすからなのでしょう。